
■■ その「もしも」は、誰にでも起こりうる
「自分はまだ大丈夫」「うちの親はしっかりしているから」――。
多くの方がそう考えているかもしれません。しかし、日本の高齢化が急速に進む中、認知症は誰にとっても無関係とは言えない、非常に身近な問題となっています。
内閣府の発表によれば、2025年には65歳以上の高齢者のうち、実に約5人に1人が認知症になると推計されています。
そして、認知症がもたらす問題は、日々の生活や介護のことだけではありません。ご自身やご家族が大切に築き上げてきた金融資産が「凍結」されてしまうという、深刻なリスクをはらんでいるのです。
本記事では、認知症や金融に関する専門家の視点から、なぜ資産が凍結されるのか、それによってどのような問題が起こるのか、そして最も重要な「今からできる具体的な対策」について、選択肢を網羅的に、そして分かりやすく徹底解説します。
ご自身と大切なご家族の未来を守るため、ぜひ最後までお読みください。
■■ 第1章:なぜ認知症で金融資産が凍結されてしまうのか?
「本人の口座なのだから、家族が代わりに手続きすれば良いのでは?」と思う方も多いでしょう。
しかし、法律上、そして金融機関の実務上、それは非常に困難です。資産が凍結される根本的な原因は「意思能力の低下」にあります。
● 1. 「意思能力」とは?
意思能力とは、自分が行う行為の結果を正しく理解し、判断できる能力のことです。
金融取引(預金の引き出し、契約、売買など)はすべて「法律行為」であり、有効に成立するためには、この意思能力があることが大前提となります。
認知症が進行し、意思能力が不十分または無いと判断されると、その人が行った契約などの法律行為は「無効」となります。
● 2. 金融機関が口座を凍結する理由
金融機関は、預金者本人の財産を守るという重要な責務を負っています。
もし、意思能力が低下した人の口座から、本人の意思に基づかない不正な引き出しや、悪意ある第三者による詐欺的な取引が行われれば、金融機関は責任を問われかねません。
そのため、金融機関は口座名義人の認知症の事実(例えば、家族からの相談や、窓口での言動など)を把握した場合、預金者保護の観点から、口座からの出金や取引を停止します。
これが「資産凍結」の状態です。
● 3. 資産凍結で「できなくなる」ことの具体例
一度資産が凍結されると、たとえ家族であっても、原則として以下のことができなくなります。
・預金の引き出し、振り込み
・定期預金の解約
・投資信託や株式などの売却
・保険の契約内容変更や解約
・不動産の売却や賃貸借契約
・遺言書の作成(意思能力がないと無効になるため)
・生前贈与
これにより、本人の生活費や高額な医療費、介護施設の入居費用などが口座から引き出せなくなり、家族が経済的に追い詰められるケースが後を絶ちません。
■■ 第2章:今すぐ備えるべき!生前の有効な対策4選
資産凍結という深刻な事態を避けるためには、本人の意思能力がはっきりしている「元気なうち」に対策を講じることが何よりも重要です。ここでは、代表的な4つの生前対策について、それぞれのメリット・デメリットを詳しく解説します。
● 対策1:任意後見制度 ― 信頼できる人に未来を託す
【どのような制度か】
本人が十分な判断能力があるうちに、将来、判断能力が不十分になった場合に備えて、あらかじめ自らが選んだ代理人(任意後見人)に、ご自身の生活、療養看護や財産管理に関する事務について代理権を与える契約(任意後見契約)を、公証人の作成する公正証書によって結んでおくものです。
【メリット】
・本人の意思を尊重:誰に、どのような支援をしてもらいたいかを自分で決められます。
・幅広い権限:財産管理だけでなく、介護サービスの契約といった「身上監護」も任せられます。
・公的な制度:家庭裁判所が選任する「任意後見監督人」が任意後見人を監督するため、不正が起こりにくい仕組みになっています。
【デメリット】
・家庭裁判所の監督:任意後見監督人が選任されるため、その監督下におかれ、自由な財産処分は制限されます。また、監督人への報酬(月額1〜3万円程度)が本人の財産から支払われます。
・手続きと費用:契約時に公証役場での手続きと費用(数万円〜)が必要です。
・即効性はない:契約後すぐに効力が生じるのではなく、本人の判断能力が低下し、家庭裁判所が任意後見監督人を選任した時点からスタートします。
● 対策2:家族信託(民事信託) ― 柔軟な財産管理を実現する
【どのような制度か】
本人が元気なうちに、信頼できる家族(受託者)に、ご自身の財産(金銭、不動産、有価証券など)を託し、あらかじめ決めた目的(本人の生活・介護費用の確保など)に従って、その財産の管理・処分を任せる契約です。
【メリット】
・柔軟で自由な財産管理:後見制度と違い、家庭裁判所の監督を受けません。信託契約の内容に基づき、受託者の判断で不動産の売却やアパートの建て替えなど、積極的な資産活用も可能です。
・迅速な対応:判断能力の低下後、すぐに受託者が財産管理を開始できます。
・二次相続以降の資産承継も指定可能:例えば「自分が亡くなった後は妻に財産を、妻が亡くなった後は長男に」といった、先の世代までの資産の渡し方を指定できます(後継ぎ遺贈型受益者連続信託)。
【デメリット】
・身上監護はできない:あくまで財産管理の制度のため、介護サービスの契約などはできません。任意後見制度との併用が効果的です。
・専門家の支援が必要:信託契約書の作成は非常に専門的で、司法書士や弁護士などの専門家へのコンサルティング費用(数十万円〜信託財産の1%程度が目安)がかかります。
・受託者の負担:財産管理を任される家族(受託者)の責任と負担は大きくなります。
● 対策3:生前贈与 ― 早めに資産を移転する
【どのような制度か】
本人が元気なうちに、自身の財産を子どもや孫などに無償で分け与えることです。
【メリット】
・相続税対策:年間110万円までの暦年贈与や、相続時精算課税制度などを活用することで、将来の相続税負担を軽減できる可能性があります。
・確実な資産移転:確実に特定の相手に資産を渡すことができます。
【デメリット】
・贈与税のリスク:計画性のない贈与は高額な贈与税の対象となる可能性があります。
・本人の生活資金の枯渇:将来必要となる生活費や介護費用を見誤り、贈与しすぎてしまうリスクがあります。
・不動産取得税や登録免許税:不動産を贈与する場合、相続で取得するより税金が高くなります。
● 対策4:遺言 ― 相続トラブルを防ぐ最後の意思表示
【どのような制度か】
自分が亡くなった後の財産の分け方などを、法的に有効な形で書き記しておくものです。
【メリット】
・相続時のトラブル防止:「争族」を防ぎ、円満な遺産分割を促します。
・本人の意思の実現:法定相続分とは異なる割合で財産を分けたり、法定相続人以外の人に財産を遺したり(遺贈)できます。
【デメリット】
・生前の資産凍結には無力:遺言は本人の死亡によって初めて効力が生じるため、認知症による生前の資産凍結リスクには全く対応できません。他の対策と組み合わせることが不可欠です。
■■ 第3章:もし対策しないまま認知症になったら?「法定後見制度」
万が一、何の対策もしないまま認知症になり資産が凍結されてしまった場合、残された唯一の手段が「法定後見制度」です。
これは、判断能力が不十分になった後、家族などの申し立てにより、家庭裁判所が本人を援助する人(成年後見人、保佐人、補助人)を選任する制度です。
【法定後見制度の問題点】
・後見人を自分で選べない:
家庭裁判所が最も適任と判断した人(弁護士や司法書士などの専門家)が選任されるケースが多く、必ずしも家族がなれるとは限りません。
・財産は「守る」ことが最優先:
後見人の役割は、本人の財産を「保全(守る)」することです。そのため、不動産の売却や投資といった、財産を積極的に活用したり、相続税対策を行ったりすることは原則として認められず、非常に厳格な管理下に置かれます。
・専門家への報酬:
専門家が後見人に選任された場合、本人が亡くなるまで、その財産の中から報酬(月額2〜6万円程度)を支払い続ける必要があります。
法定後見制度は、最終的なセーフティネットではありますが、本人の意思が反映されにくく、家族が望むような柔軟な財産管理ができない可能性が高いことを理解しておく必要があります。
■■ まとめ:未来の安心は「今の行動」から生まれる
認知症による金融資産の凍結は、決して他人事ではありません。
それは、ご本人の尊厳ある生活を脅かし、支えるご家族に大きな精神的・経済的負担を強いる、現実的なリスクです。
「まだ早い」と感じる今こそ、対策を始める絶好のタイミングです。
今回ご紹介した「任意後見」「家族信託」「生前贈与」「遺言」といった選択肢は、それぞれに一長一短があります。
ご自身の資産状況、家族構成、そして何よりも「将来どのような生活を送りたいか」という想いを基に、最適な組み合わせを検討することが重要です。
まずは、この問題を家族でオープンに話し合うことから始めてみてください。
そして、少しでも不安や疑問があれば、弁護士、司法書士、金融機関といった専門家に相談することを強くお勧めします。
先延ばしにせず、今日この日から行動を起こすこと。それが、ご自身と大切な家族の未来に、何物にも代えがたい「安心」をもたらす第一歩となるのです。










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